伸びるから得意なのか、得意だから伸びるのか。卵が先か、鶏が先かと同じ理屈ではありますが、ここでは哲学的な解釈はさておき、現実的な解釈を考えてみたいと思います。
「才能に優劣はない」といわれていますが、世の中には明らかに才能に優劣があるとしか思えないものがあります。
いまだに10秒台を切ることができない日本の陸上・男子100mや先天的な能力差をまざまざと見せつけられる音楽や芸術の世界など、この世には、明らかに才能や適性の問題としか思えない分野があることは間違いありません。
さて、このような論調で書き始めると必ず“やっぱり世の中才能だよな。努力は二の次だよ”などという意見が出てくるものです。本当にそうなのでしょうか?
実は、スポーツ、芸術の分野に才能と適性を見出すのは比較的簡単なことなのです。スポーツや芸術は、子どもの頃の習いごとの代表格です。子どもの頃から習い事をしていれば、親も先生も本人もスポーツや芸術に“才能があること”を認識できる機会は枚挙に暇がないはずです。ことあることに、先生や親から“〇〇ちゃん、すごいわね~。将来オリンピック選手になれるかもよ”などと言われ続けるのですから。
実は、才能には二種類の才能があり、“気づきやすい才能”と“気づきにくい才能”の二つに分かれます。スポーツや芸術は前者です。では後者はどういう分野の才能なのでしょうか?
ここで“豆腐作りの才能”を持つA君がその才能に気がつくまでの長~い過程を考えて見ましょう。
豆腐作り(ものづくり)の才能があるA君は、子どもの頃からモノを作ることが好きで、よくプラモデルを作っていました。勉強そっちのけで製作に熱中するあまり、子どもの頃から成績は芳しくありませんでした。唯一“技術”の成績だけは抜群でしたが、親の心配は募るばかりでした。
中学生になり、いよいよ将来を危ぶんだ母親はついつい口を滑らせます“〇〇、いい加減にしなさい!あんた将来どうするつもりなの!勉強しないと困るのはあなたなのよ。お母さん知らないから!”
とはいうものの、モノつくりにしか興味の湧かないA君は、なかなか勉強に気を向けることができません。かといって将来大学には行きたいなどと漠然と考えるA君にとって、モノつくり=理科系と考えるようになるまでには、そう時間はかかりませんでした。(続く)。